高校生のころ、私は怒り狂っていた。
高校生のころ、私はいい人間になりたいと思ってた。
常識とか普通とかそういう体のいい言葉に惑わされずに縛られずに、真理を知りたがった。
自分はどうありたいかを追求していた。
ずっと自分と話して考えて書き出して吐き出してって日々だった。
無意識的に隙あらば暇あらば1日中考えていた。
何をしてても考えずにはいられなかった。
それはそれは辛くて苦しかった。
誰もわかってくれないし、考えすぎって言われるし、はぁ、そんなの知ってるし。
下校の時間になると、うつむいて、ずっとケータイで考えを文字に起こしてた。
学校を出てから1時間半くらい、駅に向かう間も、ホームで電車を待つ間も、電車の中でも、歩きながら家に着くまでも。
とめどなく溢れてくる。
吐き出さないとイカレてしまう。
そんな頃のことを思い返す。
人の文句にいちいち引っかかってたのは覚えてる。
「そういうもんや。」って言葉が嫌い。
「そういうもんやろ。」はもっと嫌い。
これは数多あるうちの1つでしかない。
状況にもよる。
真剣な会話のときほど、そういう言葉は私を傷つけた。
「マジに考えて言ってんのか?」って苛立たせた。
特に大人や親がそういう発言するのが許せなかった。
「テキトーにしゃべんなよ?」って怒り狂ってた。
怒りのピークが過ぎると、自分はどうありたいか?って考えた。
死んでもどうはなりたくないか?って考えた。
切実だった。
張り裂けそうだった。
なんであんなに本気だったんだろう。
なんであんなに本気になれたんだろう。
人にも自分にも期待していた。
単純で疑うことを知らなくてすぐ信じる子供だった。
それがどこかで急に裏切られたような、汚い世界に浸かっているような感覚が目覚めて、怒りが止まらなくなったんだ。
いつしか憤怒する自分をみっともないとか、惨めに感じるようになって、気がついたら抜け殻になっていた。
炎は消えてしまっていた。
たぶん、期待しなくなったからだ。
人に対しても、自分に対しても。
自分の芯だと思っていたものは、炎のような怒りだったんだ。
単純で繊細で不遇だった。それだけだった。
なんて悲しいことを言うんだろう。