放浪苦虫

ほどよい刺激をエサに生きてる。

「まじかー。」って言ってたい。

善悪とかなんでそんな概念を作ったんだ?

好き嫌いで留めておいてくれたら、私はもっと楽しく生きられたんじゃない?とおもう。

正義もいらんなぁと思う。

私は昔、正義を振りかざしたことがある。

中学生のころ親友に。

正義の名の下に親友を傷つけて、そこから仲直りできなくなって、今でもときどき思い出しては要らんことしたなぁって後悔してる。

正そうとか。

ふつうに嫌だって言えばよかった。

そういうとこ好きじゃないって。

それがよかった。自分が正しいと思い込んで言い過ぎた。

言うべき くらいに思ってたかもしれない。

今思えば些細なことで、実は誰もさほど思ってなかったのかもしれないし。

正すとか意味ないよ。

 

今は人にびっくりするようなことってない。

めちゃくちゃびっくりさせられたいんだけど、意外とふんふん受け入れられてしまう。

たぶん、そこまで関心ない。

好きでも好きじゃなくても「まじかー。」って言ってたい。

どうしても自分の好みを伝えたかったら「私はやだな。」ってところまで。

人のことほじくり返して捻じ曲げたり捻じ曲げようとしたりはしたくない。

それ以上はいらないとおもうし、そう思えるようでありたい。

『人に関心がない』と『人を受け入れられる』のはざま。