放浪苦虫

ほどよい刺激をエサに生きてる。

嘘をつくことに慣れすぎた。

いい顔するために、好かれるために、自分の心に嘘を重ねてきた。

自分のことのくせに、自分がそうしたくせに、今の今までそれについて考えることがなかった。

自分的大発見だったので、忘れないうちに書き記しておきたい。

 

『ついていい嘘』という言葉がある。

そういうものは実際に、自分の中には存在する。

たとえば、全然ひまな日に友達に遊びに誘われたけど、気がすすまないから適当に用事があるとかなんとか言って断る場合の嘘。

自分の心に正直な行動を起こすためにつく嘘は、自分にとって必要な嘘なんだと思う。

すべてに対してあるがままの正直な思いを人に伝えていたら、人間関係がうまくいかなくなるようなこともあるだろう。

それでもし苦しむようなことがあると思うなら、嘘は、自分が気持ちよく生きていく為に必要なものなんだろうと思う。

じゃあ『ついてはいけない嘘』とは?

「僕のこと好き?」「ウン、スキ。」とか。

私は今、たぶん、思いもしないようなことを口に出すことに慣れてしまった自分に苦しんでいる。

自分の心を大事にせず、人の心と向き合うようなこともせず、楽なほうへ楽なほうへとやってきた結果がこれ。

人は慣れる生き物だと思う。

自分の気持ちに嘘をつくことにも慣れてしまえる。

意識的に、覚悟を持って自分に嘘をつきはじめる人はいないんじゃないかな。

言い始めはなんとなくモヤっとイヤ~な気持ちがしてきて、そんな嘘をつかせる相手に責任があると感じたり、そういう言い方する人が嫌いだとか愚痴って。

言わなきゃいけない状況を呪うくらい辛くなって、どんどん全部が嫌になる。

人に対する関心が持てないのにずっと悩んでた。

自分にも自信が持てなくて、そもそも自分ってなんだっけ?って、からっぽの体で彷徨ってるような虚しさがずっとあった。

考えてももうどこから何から考えればいいのかわかんない。

どんだけ考えてもたどり着ける気がしない。

それで、仕事のせいとか歳のせいとか諦めていたけど、そうじゃなかったのかもしれない。

取り戻せるのかもしれない。

きっと、答えたくないことは答えないほうがマシだったんだ。

おべんちゃらでは伝わらないし、おべんちゃらに反応するような人とは自分が関心を持てないんだから。

あぁもっと悦びたい。

なりふりかまわずゆきたい。