放浪苦虫

ほどよい刺激をエサに生きてる。

高校生の頃の自分のことと好きだったもののこと

昔の自分を取り戻したいのか、決別したいのか、自分でもよくわからないけど、文章にして吐き出すことが何処かへ向かっての一歩にもなるような気がして書いてみる。

 

基本的にひとりで何かをして、感じたり考えたりする、ひとり遊びが好きだ。

自分が何で心を動かすのか、それでどんな風に動くのか、実験みたいで楽しかった。

 

その半面?人との遊びが得意じゃない。

人といると気を遣いすぎて、今やってることそのものに対する感情や感覚が薄くなって(親しくない人と食事をすると味がしないような)、すぐに疲れてしまう。

でも人並みに寂しくなったり、“普通はー”みたいな考え方をするところもあるので、こんな自分が人でいっぱいの世界で生きていくのはなかなかに辛い。

 

高校生の頃にハマっていたひとり遊びは、原付で山へ行くことだった。

走り屋っぽいけど全くそういうのじゃあない。

大阪市内の交通量の多い道を原付で走るのが結構こわかったので、だいたい朝6時とかに家を出て昼には帰ってくるような、健全すぎる遊びをしていた。

 

海辺を走るのもすごく気持ちがよかったけど、山のミドリの香りがする、少し冷えた空気の中を走り抜けると、“今この瞬間”に全神経が集中するような感覚があって、余計なことを一切考えないで済んだ。

たぶん全能感というやつで、自分は自由で、どこにでも行けて、何にでもなれて…という感覚に包まれるために山へ行っていた。

 

私には高校3年間を共にした数少ない友人がいてる。

ほっといて欲しいとき、そういう態度(音楽を聴いてシャットアウトしたり、移動教室一人で行く)を示してもそれを受け入れてくれて、話を聞いてほしいときは聞いてくれていた(いつもだいたい「考えすぎ」と返される)。

今は距離感がちょっとわからないところもあるけど、存在に感謝してる。

 

色んな世界を持つことがすきだった。

家での自分、学校での自分、バイト先での自分、彼氏の前での自分。

完全には混ざり合わないそれぞれの世界にちょっとずつ違う自分がいて、何者でもないような、何者にもならなくていいような気楽さがあったのかもしれない。